青い空の向こうに

2017年4月息子が青い空の向こうに行ってしまいました。

次女との会話

施設に入っている夫の母が体調が悪くなり入院した。もう86歳なので、老衰で食事がとれなくなり脱水になったらしい。

点滴をして少し回復したが、口から食べられるわけではないので、退院して施設に戻ったらまた脱水になるだろう。


夜次女とご飯を食べながら会話した。

「むずかしいねぇ。ばあちゃん退院しても点滴するか、もう食べられなくなったら自然にまかすか。終わり方がむずかしいねえ」

「延命治療するかしないか考えないとねぇ」


そんな話しをしていたら、次女が、

「私がもし死んだら目以外は臓器あげてもいいからね」と突然言った。

「目はダメなの?」

「うん、何となく」


そうかあ、死んでも目はダメなのかあ。

そんなことを考えていたら息子の亡くなった時のことを思い出した。

あの時、私たちが駆けつけると、息子の目から涙がこぼれ落ちた。

「まだ生きてるの!?」

顔は氷のように冷たいのに、必死で目をこじ開けた。開けた瞳の色でやはり生きてはいないのだと思い知らされ、また泣き崩れたことを思い出した。


あれからもう4年以上たったが、あの時の息子の頬の冷たさは今でもはっきりと覚えている。

娘との会話で久しぶりに思い出した。

人の人生の終わり方って色々だなあ。

いったい誰が決めるんだろう。

少なくとも、もう2度と我が子の冷たい頬には触れたくない。

勝手な自分

昨日は日直だった。なんかめちゃめちゃ忙しく、昼ごはんどころかお茶も飲めないくらい夕方までノンストップだった。

なんだか最近救急車や発熱の人がすごく増えた。やっぱりオミクロンのせいかなあ。

熱の人、症状が怪しい人、入院になる人、みんなPCRをとらないといけない。これがなかなか着替えたり場所を変えたりして結構手間なのだ。

髪もボサボサで疲れ切って帰宅した。年取ると激務がこたえる。いつまで働けるかなあ。


コロナじゃない、特に異常もない、となると皆さんあー良かったーと言われる。当たり前だけど、みんな命は惜しいんだなあと思う。

自分は別にコロナになっても大病になっても構わないと思っている。(職場的にはコロナは厳禁だから気をつけているけど)命が尽きるような病気になったらそれが運命だと受け入れようと思っている。だから、病院職員でありながら、人には良かったね〜なんて言いながら生に執着している人をどこか冷めた目で見てしまったりすることがある。


ところが・・そう思っていてもやっぱり自分もお腹が減ると美味しいもの食べたいなあと思うし、食べれば美味しいなあと思うし、熱があったりどこか痛かったりすると楽になりたいなあと思って薬を飲んだりするし・・苦しいのも痛いのもやっぱ嫌だし。

ほんと自分って勝手な人間だなあと思うのだ。

息子よ、いざその時が来たら、お母さんがジタバタしないようにちゃんと迎えに来てよ。

今年も来るかなあ

毎年年始は実家で総勢20人くらいで集まる。

今年もいつも通り集まった。

この恒例の集まりの写真には、必ず毎回小さな光の玉が写っていて、私たちは勝手に息子が来てると言い合っていた。

姉たちもわかっていて、今年も写るかねーなんて笑っていた。

スマホで撮っても写らないのだけど、実家の父のカメラで撮った写真にだけ写るのだ。

今年も写真を撮ってきたが、写っているかどうかプリントアウトしてもらうまでわからない。

今年も写るといいのだけれど。


毎年の写真を、霊が見える同僚に見てもらうと、いつも息子が写っていると言われる。去年も真ん中で笑っていると言われた。

みんなが集まってると来たくなるのかな。笑っているのなら良かったけど。

私は鈍いのか全く気配も何も感じない。私にも見えるといいのだけれど。


今日見る夢は初夢かな。夢でもいいから会いにきてね。